2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本13 第17章 下」PART1

どうも、武信です。(No268)  

 

2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本13 第17章 下」PART1です。  

 

構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。  

 

フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。  

 

また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります)  

 

1 教わる力

 

他にも気づく力とは、「教わる力」であり、吸収力とも言えでしょう。  

 

勉強や仕事を学ぶだけでなく、勉強や仕事を学ぶ「学び方」を知っているということです。  

 

詳しくは、「すべての「学び」の前に鍛えるべきは「教わる力」である。」という本に載っています。

 

その本によると、教える側のやり方は素晴らしくても、教わる側が下手だと伸びないそうです。  

 

これも気づく力の一例でしょう。  

 

著者の本には、「結果を出すために最短の道で目的を果たすために、他人の判断軸や経験を使うといい」ということが書かれています。  

 

自分の経験軸や手法では、限界があります。  

 

普通は目的を達してから、自分のやり方が良かったと分かるからです。  

 

自己流でやるより、他人や先輩たちの成功体験を取り入れ、借り物だとしてもこなした方が近道です。  

 

著者はそのための手法として、ビジネスの世界ならば、キュレーターを活用するといいと書いています。

 

僕のようなビジネス書を多読してきた人間の智恵を借りた方が、自己流で調べて判断軸を作るより、楽だということです。  

 

読者の方は、僕の判断軸をまずは借りて、そこから自分流を作るのもありかと思います。

 

自分流の作り方については、著者の本を読むとさらに理解が深まるでしょう。  

 

また、「知っている、わかる、できる」の3段階があり、「それ、知っているよ」という人はいますが、「できる段階」にまで昇華させていない人が大半だそうです。  

 

僕は書評や本を書いていますが、専門外である「会話で人に説明すること」は、非常に難しいことだと実感しています。  

 

できる段階とは、会話で人に分かりやすく説明できることでしょうね。  

 

文章でアウトプットも、それなりに難しく十分だとも言えますが、大半の人は本を読まないので、口頭で説明できると、執筆が専門だとしても、一皮向けたレベルになると思うので、頑張ってやるようにしています。  

 

やってみれば分かりますが、本を読んでちゃんと吸収して、人に説明できるレベルまで達するのは意外と難しいです。  

 

怠惰な人は本なんか読ませずに、「説明して」と言ってくるでしょう。  

 

内心は「本で学ばず、人を頼りにして楽しようとしているなぁ」と感じますが、執筆家としても、一皮向けると思って説明する努力をしています。(これを続けた結果、最近の僕は、会話レベルもプロレベルに近づいたようです)  

 

このように、できる段階にまで持っていくことが、教わる力として重要です。  

 

ちなみに、気づきとはビジネスや学問だけでなく、人間関係全般にも適用できます。  

 

気づきがあり、察する能力が高い人はいますよね。  

 

女性の気持ちを察する能力が高い男性などです。

 

加えて、仕事や日常生活でも気づきは適用可能です。  

 

家族の健康や態度の異変、仕事上のトラブルの予兆などを察知できるのも、気づく力があればこそです。  

 

これらの能力があれば、社会人として成功しやすいでしょう。  

 

HSPのように、病的になると困りますが。  

 

鈍感力で、中和できればいいのですけどね。  

 

2 大学受験など

 

大学受験で、これらの能力の一部を確認するために、国立の場合、従来のセンター試験(理系は存続でもOKかも)で知識の確認をします。  

 

英語は民間の外部試験でもOKにします。  

 

この案も受け入れられる寸前まで行きましたが、どうなるやら。  

 

英語の民間試験については以下の記事に詳しいです。  

 

「大学入試に英語の民間試験(4技能)導入の賛否」というタイトルです。

英語スピーキング上達論の是非「大学入試に英語の民間試験(4技能)導入の賛否」

 

  他にも、僕のブログでは、散々、英語の民間試験について、述べていますので、興味がある人は、僕のブログで「民間試験」などで検索してください。  

 

国語は「論文プラットフォーム」で修行の場を提供し、小論文を課します。  

 

古文、漢文は廃止します。(文学部限定です。この改革は抵抗勢力が猛反対するでしょう)  

 

これらは記述式導入で代替されたようです。  

 

僕の提案は受け入れられませんでした。  

 

論文で、「学問の創造力」と論理的思考力と文章力を測ります。  

 

未来予測を、論文プラットフォームで書いてもらい、予測がどれだけ的中したか、つまり、予測力も鍛えることができるかもしれません。  

 

歴史は、近現代科目を作ります。(世界史、日本史両方含む)  

 

歴史科目は、センター試験では知識の確認を主とし、2次試験では歴史学の面白さを垣間見ることができるような内容にします。  

 

記憶力と根気と勉強体力が測れるでしょう。この案は受け入れられたようです。  

 

政治経済や地理は、現行のままでOKかと思います。  

 

理系は詳しくないので、よく分からないのが正直な意見ですが、ノーベル賞受賞者も多数輩出していて、実績を出しているのと、数学と物理は基本的に思考力が問われるので、従来のままでいいのではないでしょうか。  

 

数学や理科も記述式導入など、新しい点が加わるようです。(共通テストでは数学の記述式は見送りになりました)  

 

3 情報処理能力

 

逆に、問う必要性が弱くなったのが、情報処理能力です。  

 

情報処理能力はある程度、必要ですが、どちらかと言えば、思考力や創造力の方が重要度は高いと言えるでしょう。  

情報処理能力は「時間制限内にどれだけ解けるか?」、さらに、「問題の難易度を見極め、どの問題に着手するか?」という判断力を従来は測られてきました。  

 

ですが、センター試験が変わるとしたら、情報処理能力と判断力の判定にあまり重きを置かなくなる可能性があります。  

 

「情報処理能力と判断力をどう扱うか?」は議論すべきでしょう。  

 

情報爆発の時代においては、情報処理能力は必要ですが、「大学入試で問う必要性があるのか?」疑問です。  

 

それこそ、面接による口頭で確かめることが可能だと思うのです。  

 

早口な人は情報処理能力が高いと思われます。  

 

また、早口な人の言葉を聞いてきちんと理解している人も情報処理能力が高いです。  

 

この2点で、情報処理能力は確認可能です。  

 

ゆっくり喋ることしかできない人は、情報処理が遅いのです。  

 

早口な人はゆっくりも喋れますが、その逆はありません。  

 

面接か、論文プラットフォームでの動画投稿などで、確かめることができる能力です。  

 

ではこの辺で。(3135文字)  

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。  

 

参考・引用文献。  

 

「すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。」

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