どうも、武信です。(No720)
前回の記事で、業種(産業)により、中途採用や高学歴の新卒採用をした方がいい場合(主に変化の激しいIT業界など)と、新卒一括採用などした方がいい場合があると分かりました。
2020年教育改革への僕の本「新卒一括採用・終身雇用が崩壊しない日本の大企業について2 PART1」
「新卒一括採用・終身雇用が崩壊しない日本の大企業について2 PART1」
2020年教育改革への僕の本「新卒一括採用・終身雇用が崩壊しない日本の大企業について2 PART2」
「新卒一括採用・終身雇用が崩壊しない日本の大企業について2 PART2」
企画は育てるというより、引抜きの方が合理的かもしれない点や(向き不向きがはっきりしている)、「営業マンも学歴はあまり関係ないと分かっていても、低学歴人材は採りにくい」とも述べました。
さらに、日本人の仕事の熱意はかなり低く、「3分の2の人が自己学習など研鑽に励んでいない」ことがわかりました。
ですが、「Googleのような会社を目指すのも間違いであり、日本の大企業はそのようには変身できない」とも述べました。
一つの提案として野球のFA契約のようなものや、38歳定年制を提唱してみましたが、難しいかもしれません。
補足として、退職金について最後に触れました。
ここからは続きの記事です。
約7000文字以上の力作記事です。
1 記事の要約。
以下の記事を貼ります。
「通年・ジョブ型…脱日本型採用は企業の「いいとこどり」」というタイトルです。(消されたようです)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190515-00010000-nkbizgate-bus_all
簡単に要約します。
過去、新卒採用がほぼ自由化されたときは失敗しました。
「通年採用も上手くいかない」といいます。
では、中途採用に軸足を置けばいいかというと、すでに大多数の大企業で行われていますが、あまり上手くいっていません。
理由は採れないからです。
ピンポイントで、ジョブ型の専門系の人材を採れないのです。
それよりもポジションの欠員は異動で補ったほうが楽です。
さらに、新卒一括採用でも補充します。
ここで、欧米企業が新卒一括採用を中心にしない理由は、雇用契約がジョブ型であり、人事権も弱く、異動もさせられないからです。
タテ(=昇進)は欧米でも容認できますが、ヨコ(他地域で同職)に行けと言われたら欧米では反抗されます。
欧米では、空席をヨコ・ヨコ・タテと末端へ移動させられないので、競合他社から採用しているのです。
しかも、末端に寄せられる求人が少ないので、新卒採用も少ないです。
日本の人事権は強く、自由に異動もできて、配置できます。
しかし、欧米では限定雇用なので業績が悪くなったら解雇しやすく(同様に能力が低くても)、整理できますが、日本ではポストで採用したわけではないので、業績が悪くなっても解雇できません。(能力が低くても異動で対応します)
ここで終身雇用から脱却するのであれば(極論すればいつでも解雇可能)、日本企業の人事権を失うことになりますがそれができるのか?という点です。
日本企業の場合、単に「職務ベースで中途採用する」だけであり、人事権は残し(つまり自由に異動させる)、本物のジョブ型とはしないのです。(そもそも簡単に中途でピッタリな人材は見つからないでしょうが)
日本に必要なのは人事権の弱体化であり、異動もできないようにし、そのようになれば不況や業績悪化になれば人材を放出し、転職市場が成立し、中途採用しやすい社会になります。
今回の提言は人事権の弱体化を伴う本物のジョブ型ではなく、中途採用でいい人材が採れず、その結果、社内異動と新卒一括採用で補充し、新卒一括作用はルールを失い、超早期化して産学ともに困ると結論づけています。以上、ここまで。
2 本の要約。
次に、労働環境を別の視点から見ていきましょう。
「仕事選びのアートとサイエンス」という本の要約です。P68~79から。
以下、要約します。
終身雇用制が美徳とされる理由として、雇用関係が「従業員は時間・労働力・知識等の資源を提供し、会社は給与・その他福利厚生等で報いる」という交換を行う互恵関係という前提があります。
つまり、「持ちつ持たれつ」ということです。
互恵関係が前提ということは双方が提供し合うメリットがアンバランスになれば、この関係は成立しなくなります。
ギブ&テイクが成り立ちません。
ところが日本では、この契約を解除すること(会社側が主導すれば解雇、従業員側が主導すれば退職)は不道徳だと考えられがちです。
なぜなら、互恵関係に時間軸でのズレがあるからです。
以下、ズレの例です。
1 新入社員から5~6年目までのズレ。
日本の大企業の多くは新卒一括採用に頼っており、それらの時期は5~6年であり、成果が待遇を上回ります。
つまり、会社は未熟な新卒社員に先行投資しているのです。
投資なのでリスクが伴い、それは「育てられず、回収できるだけの成果を生み出さない」「育ったが退職してしまう」の2つです。
リスクを回避しようとする会社は新卒採用を積極的に行わず、例としてコンサルティングファームがあります。
コンサルティング会社の日本支社は新卒を若干名募集しますが、それは労働力の流動性が極端に低いからで、海外各国での主軸はあくまでも中途採用です。
コンサルティングファームは求められる職能の幅が狭い上に、向き不向きがかなりはっきり出る仕事なので、新卒で採用しても育てられないと考えているのです。
しかし、日本の大企業の多くは新卒採用を積極的に行いますが理由は、リスクが低いと考えている、つまり「ちゃんと育つ」「辞めない」ということなので分相応な待遇で先行投資しているのです。
ここに転職が不道徳であるとみなされる1つ目の要因があります。
30歳前に転職してしまうと、企業側からすれば「せっかく面倒見てきたのに、これから回収というときに辞めるなんて」という気持ちになるのです。
逆に言うと、日本企業の多くは新卒社員に分相応な待遇で報いることで、一種の引け目を作っており、若年層の退職が不道徳とみなされる要因なのです。
それでは解雇はなぜこれほどまでに不道徳であるとみなされるのか?といえば、互恵関係の時間軸のズレがあると思われるのです。
20代の若年時に「成果<待遇」だった関係は30代~40代にかけては逆に「成果>待遇」になります。
さらに、40代後半~50代になると、また「成果<待遇」という名誉職期間を経て、退職となるのです。
最後の時期は取締役になる一部の人を除いて、生産活動を縮小、または停止しながら、職歴の中で最も高い給与をもらう、ということになります。
まとめると、30~40代の働き盛りの従業員と会社の関係は、「いずれ報いるからいまはこれだけで頑張ってくれ」という「報酬先送り」の期間なのです。
会社側は後払いを暗黙のうちに約束して、従業員を働かせており、いざ支払いのときに解雇するとなれば、債務不履行であるから、解雇は不道徳であると言われるのです。
20代の若手には成果に見合わない待遇で囲い込んで会社にロックインし、30~40代には将来の雇用保障と年金的報酬をちらつかせることでさらにロックインし、50~60代になって労働市場での価値がゼロになってから初めて、それまでの収支がトントンになるように最後の「お釣り」を支払う、という基本構造になっているのです。
20代前後での退職や中高年のリストラが「不道徳」であるという風潮は、暗黙の契約の不履行、つまり不誠実だと考えられているのです。
この「ズレ給」とでも言うべき仕組みは日本企業に見られる現象ではなく、程度の差こそあれ、洋の東西を問わずに見られる現象ですが、一つ心配なのが、今後、事業や企業の不安定性が高まるにつれて、この仕組みがコスト増につながりかねない、という点です。
ファイナンス理論では、将来の不確実性が高くなればなるほどリスクプレミアムが乗って資金調達コストが上昇します。
詳しくはP73~。
要は、今の日本の大企業はかなり不確実性が高く(将来が見えない)、ということは将来の賃金の先送りをするのであれば、それ相応のリスクプレミアムの上乗せをしてくれと従業員が言うケースもあるということです。
この「ズレ給」の仕組みは転職をしようとする個人への強いブレーキになります。
なぜなら、30歳を過ぎたころから自分で働いてきた金の一部をデポジットとして会社に預け続け、定年前の10年間に実質的に仕事をせずに年金のような形で払い戻してもらうので、ある程度以上の年齢になると、このデポジット分の預け入れの損失(実際は払い戻されない可能性が高まっているので、本当に損失かは不明)が大きくなり、転職できなくなるからです。
つまり、「会社側にロックインされてしまう、飼い殺し」になります。
著者は常々「会社と従業員との関係は貸し借りなしがいい」と言っているのも、多くの人に人生の意思決定をできなくさせるからです。
企業に貸したまま退職はしづらいですし、日本においてミドル層の労働力の流動性が低く、結果的に国全体の生産性が低いのも、この「ズレ給」にも要因があると睨んでいます。
最後に、この「ズレ給」の制度が成り立ったのも、世界史的にも極めて特異な高度経済成長という時代背景があったからです。
現在のように、変化が激しく、成長性・安定性の低い時代では、会社に預けたデポジットを数十年後に払ってもらうのはリスクが高いです。
今、成果を出せるのであれば成果を出した分をすぐにでも払ってもらう、というのがこれからの時代には必要な考え方でしょう。
転職が活発になって、流動性が高くなると、入れ替え自由な社会(企業側は解雇しまくり、労働者側は退職、転職しまくる)になると思われますが、今の時代において入れ替え可能な層は縮小していると著者は見ています。
マルクスの枠組みでいうと、資本、労働力、土地のうちの最も希少なものが労働力になりつつある一方、資本が過剰な世界になりつつあります。
このような社会では交渉のパワーバランスは大きく労働者側にシフトします。
入れ替え自由な社会とともに、選択自由にもなるのです。
著者はこのような「転職社会」においては、「アノミー社会」がキーワードだと述べていますが、詳しくは本で。以上、ここまで。
PART2に続きます。
ではこの辺で。(4656文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。