「文章が下手だと悩んでいる人へ。僕の文章は下手なのか?」

どうも、武信です。(No267)  

 

過去記事です。  

 

「文章、文体で悩んでいる人には参考になる記事だ」と思います。

 

僕の事例から、文体、文章を紐解いていきます。  

 

文体、文章について深く考えたい方は、ぜひ続きをお読みください。  

 

短く、サクッと読める内容です。  

 

 

1 前置き。

 

いきなりですが、僕の文章は下手でしょうか?  

 

これは悩みです。  

 

僕は今まで、文体をそこまで重要視してきませんでした。  

 

というのも、文体よりも、言っている内容が濃ければ(独自性、目新しさ、重要度など)、読者は満足してくれると信じていたからです。  

 

ですが、もしかしたら、読者はそこまで内容を求めていなくて、「文体で読ませる、文章力の上手い人」を求めている可能性があるなと感じ始めています。  

 

僕は内容には絶対的な自信を持っています。  

 

それはビジネス書の相場観により、僕自身が客観的に判断したものです。  

 

しかし、文体や文章力に関しては、僕はよく考えたら、そこまで重要視もしてこなかったし、追求もしてきませんでした。  

 

「伝え方が9割」という本もあるくらいですし、売れましたから、読者の方は内容よりも、文体や文章力を求めている可能性もあるなと思っています。  

 

内容にいくら新規性面白さがあっても、文体や文章力に欠陥があったら、やはり価値は大幅に下がるのでしょうかね。  

 

2 文体とはつまり形式(論理)により中身も決まる。

 

そもそも、文体とはつまり、形式により、中身も決まります。  

 

「形式」をまず学ぶことで、中身も向上させることができます。  

 

「「本当の国語力」が驚くほど伸びる本」に書かれていることです。  

 

以下、本に載っている例を書きますね。

A 「赤組は1位。白組は2位です。」

B 「赤組は1位。でも、白組は2位です。」  

 

Aは各組の順位を淡々と伝える文章。それに対して、Bには新しい「意味」が生まれています。  

 

白組は赤組よりも悪い結果だった、という事実が強調されています。  

 

AとBの意味する「内容」は、大きく異なります。  

 

この「内容」に大きな影響を与えたのは、「でも」というたった2文字。  

 

つまり、「形式的」なものです。  

 

このような形式を意図的に操作できれば、「内容」をも操作できるようになります。  

 

つまり、論理(形式)をコントロールできれば、文章の意味(内容)をコントロールできるということです。

 

だからこそ、「論理的思考力さえつけば、国語力は確実に伸びる」と断言できると著者は主張しています。

 

3 僕の文章の内容は文体、形式によりなされている&読者は内容と文体どちらを求めているか?

 

このように、僕の文章の内容に新規性があるとしたら、文体、形式によりなされているのです。  

 

僕は「自身の文体により、内容の新規性が発揮されている」と思っています。  

 

これをもし、「文体で読ませる、文章力を重要視するような感じ」にしたら、内容への追求が疎かになると感じます。  

 

皆さんは、内容(新規性や重要度)と文体、どちらを重要視しているのでしょうか?  

 

両方という意見は当たり前なのでしないでもらいたいです。  

 

「究極的にどちらかを選ぶとしたらどちらを選ぶか?」という質問です。  

 

4 僕は内容派&世間の相場も理解する必要がある。

 

僕は内容派です。  

 

文体、文章力も大事だとは思いますが、内容のない文章力の上手い人には何の感銘も受けません。  

 

読んだ後に斬新な視点も得られず、重要な話も得られなかったなら、読んで後悔します。  

 

それだったら、多少、文章が下手でも伝えたいことがあり、斬新で重要な話だったら、苦労してでも読んで後に残るモノがが多いと感じます。  

 

正直、「文章が上手いだけで、内容が伴わない文章」は僕にとっては、価値はほぼないに等しいです。  

 

ですが、世間の相場というものも理解しないといけません。  

 

文体、文章力なのか、内容なのか。  

 

僕の内容重視路線は間違っていたのでしょうか?  

 

僕の著書の内容には、絶対の自信を持っています。  

 

何度も繰り返しますが、相場観により判断しました。  

 

5 文章は自分では判定不能。

 

しかし、文章に関しては正直、読者の判断に委ねることになります。(分かりやすく書いたつもりですが、名文、巧みな文章(レトリック的)とは程遠いかもしれません。僕の文体は簡素でシンプルなものです)  

 

文体、文章というものは自己評価が難しいです。  

 

客観的にデータ的に判定してくれるソフトもないでしょう。  

 

文体、文章の上手さは、他者によって診断やアドバイスされないと、自身では分かりにくいものです。

 

僕も正直、自分の文章については、客観的に相場的に判断ができません。  

 

内容については、相場的に客観的に判断できていると思うのですが。。。  

 

なので、少し悩んでいるところです。  

 

このように、自己評価と他者評価ってズレがあるんですよ。  

 

自己評価と他者評価を一致して理解できていると、客観的に自分を見れているということで、現状把握が正しく、突破口を見つけやすくなると感じます。  

 

しかし、自身を正確に客観的に把握するのって難しいです。  

 

自分が他人を見ると、けっこう把握しやすいですが(それでも間違えた人物判断をする人は多い)、他人から見て自分はどのような感じなのか?を、正確に理解するのはけっこう難しいことです。  

 

自己評価と他者評価の話はこの記事で書いています。

 

「自己評価と他者評価の話」。

「自己評価と他者評価の話」フィクサーによる日本の教育改革本から

 

  「敵(他人)を知り、己を知れば、百戦危うからず」とも言います。  

 

「現状把握は大事」ということです。  

 

ではこの辺で。(2678文字)  

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。  

 

参考・引用文献。  

 

「「本当の国語力」が驚くほど伸びる本」

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