どうも、武信です。(No140)
2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本5 第3章 上」PART1です。
構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。
フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。
また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります)
第3章「日本の高学歴が日本を救えない理由」
第3章「日本の高学歴が日本を救えない理由」
1 高学歴の定義など。
これまでの文章で、イノベーターを上手に発掘できず、アメリカのような新興企業群を興せなかったことを挙げました。
知識集約型の敗北ですね。
日本がイノベーターを生み出せなかった理由は教育や国民性にあると僕は踏んでいます。
ここで、変更前のタイトル「今の日本の教育改革のネタ元本~なぜ、高学歴が日本を救うことができないのか?」と絡めて日本の教育について論じることにします。
まず、高学歴の定義をしておきます。
東大、京大、医学部、早稲田・慶應(学部により難易度に差あり。上位学部に限定する)とします。
つまり偏差値70近辺です。
阪大、一橋大、東工大は含まないのかという質問はスルーします。
大学名はあくまで目安です。大学間で問題形式が異なるので比較が難しいのもあります。
MARCH・関関同立は微妙です。学部や成績によっては含めたり、含めなかったりでしょう。
それ以下(日東駒専含む)は除外します。
なぜ、高学歴をそれらの大学と定義したのか?と言うと、偏差値70近辺(偏差値60近辺は微妙)の大学に受かるにはペーパー試験の才能が必要だからです。
「そんなことない。努力で偏差値70まで行く」と反論する人は普通の人を想像できていません。
普通の人はゲームのように勉強を楽しく実行できません。
偏差値70近辺とは勉強の苦痛度が低く、ゲームのようにのめり込める素質があり、論理的な人たちが到達します。
芸術の感性派も偏差値70近辺は無理でしょう。
現代文、数学で撃沈します。感性では解けないからです。
偏差値70近辺の高学歴獲得には才能が必要です。
「普通の人」が努力で行けるのは偏差値60近辺、つまりMARCHや関関同立レベルでしょう。(これらの大学の上位層は異なる人種かもしれないです)
勉強の苦痛度がかなり高く、おまけに論理力も低いけれども、予備校などで強制的にやらされて受験テクニックを教えこまれ、あとは短期決戦で根性でやれば、偏差値60は何とか行くと思われます。
偏差値70近辺の大学に行く人は普通ではないです。ちなみに模試ではありません。実際に大学に受かった人たちです。
ペーパー試験(偏差値70近辺)には才能が必要ということは同意でしょうか?
「自分は違う。努力でのし上がれるのだ」と言う人もいるでしょう。
ですが、猛烈に努力できること自体が普通ではありません。努力も才能のうちです。
例えば、1日に8時間以上できる人は稀です。
努力できることが才能ということは「あなたの脳のしつけ方」という本に書かれています。
何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が高く、かつ損得を冷静に計算する機能が鈍い人こそが「努力できる人」なのです。
逆に、何かを行うことで生じる報酬や成果を感じる脳の機能が弱く、損得を計算できる人が「努力できない人」といえます。
つまり、努力できるかできないかは本人のがんばりというよりも、脳の構造の違いによるところが大きいことが判明しました。P155、156から引用・まとめ。とあります。
努力遺伝子なるものがあるとは驚きです。
努力が実りやすいものは楽器、語学、運動技能の習得、受験勉強、絵を描く技術などがあります。受験勉強は努力が実るものでした。
逆に、努力が実りにくいものとは足の速さや跳躍力、肩の強さ、数学力などがあります。
「努力できないことも一つの才能である」という衝撃の内容が、「あなたの脳のしつけ方」には書かれているので、興味ある方は読んでみるといいかもしれないです。
ペーパー試験には才能が必要であるという前提にしておきます。
受験勉強は努力が実りやすいといっても偏差値60ぐらいまでででしょう。
努力できるのも才能なのであれば偏差値70近辺は怠惰な人には無理です。
2 ペーパー試験で測れる能力とは?
さて、そもそもペーパー試験で測れる能力とは何なのでしょうか?
考えてみてください。何が浮かびましたか?
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それに対する僕の回答はOS力(情報処理能力・集中力・暗記力・体力など)、思考力(地頭力とも呼ぶ。以下、地頭力は思考力で統一して書きます。論理的思考力、数学的思考力など)、根気・根性などです。
しかも主に学問系です。
学問(政治学、経済学、経営学、法律など多数)の適性を見るのが大学受験です。
では、ペーパー試験で測れない能力とは何でしょうか?考えてみてください。
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経営系・ビジネスの適性とコミュ力です。
また、創造力(企画力)や文章力もありますが後で述べることにします。
経営系・ビジネスの適性とは経営系・ビジネス(実学)の知識(簿記や会計など多数)に向いているかと、ビジネスモデル発案や新製品・新サービスのアイデア発案も含んでいます。
政治学には興味があっても、会計には興味が持てないという人も存在します。
経営学部・商学部では経営系・ビジネスの知識は学べます。
というわけで、経営学部・商学部はペーパー試験で測れる能力(OS力など多数)は身につけていますし、その上でちゃんと大学で学べば、経営系・ビジネスの適性も見極められるでしょう。
もちろん経営学は学問であり、経営者という実務で通用するかどうかは不明です。
「使える経営学」という本では、経営学は実務でも使えるという主張をしている本です。
なかなか参考になるので「、経営学なんて机上の空論でしょ?」という人は一読してみるといいかもしれません。
このように大学受験は学問の適性を見る試験なのです。
また、ペーパー試験突破者はOS力が優れています。
WindowsなどのOSです。OSが優れているとそこで動くソフトも高速です。
OS力とは前に述べた「情報処理能力・集中力・暗記力・体力など」です。
ペーパー試験突破者はOS力(情報処理能力、集中力、暗記力、体力など)、思考力(論理的思考力、数学的思考力など))、根気・根性などは優れています。
OS力が高いので、新しい知識の吸収力も高い可能性はあります。
また、東大理3出身の和田秀樹氏は、大学受験は「コンテンツ学力」と「ノウハウ学力」に分かれていると言います。
「コンテンツ」(内容)の重要性は薄いのですが、「ノウハウ」(情報処理の仕方や勉強の仕方や記憶の仕方などの技術)は意味があるということです。
というわけで、採用担当者は高校名まで調べたりして、思考力やOS力がいい奴を取ろうとする傾向にあります。(今は高校名を見る企業が減少傾向にあるようです。地頭を見るもっといい方法が生まれてきたからです。「なぜ7割のエントリーシートは、読まずに捨てられるのか?」のP199からに詳しく載っています)
OS力を上げる本として、苫米地英人氏の「クロックサイクルの速め方」と「ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方」と「グレインサイズの高め方」をお勧めしておきます。
速読(情報処理能力)と無意識下の並列処理能力について書かれた本です。
ちなみに、「本題に入る前の前置き」以前の自己イメージなどの話は、苫米地英人氏の本をよく読んでいた元知人から教えてもらって参考にしてまとめました。
元々、苫米地氏の本はチェックし、読んでいたのですが、胡散臭いと当時感じていたのと実践していなかったので、ほとんどの内容がうろ覚えレベルになっていました。
しかし、元知人は苫米地氏の本をきちんと実践し、英語や速読などで成果を挙げたと言います。
さらに、その元知人は苫米地氏の英語のやり方を他の人に試したところ、成果があったと言います。
これを聞いて僕は苫米地本を読みあさりました。
そこで感じたのですが、知人による口頭での説明で僕が自分なりにまとめたのが、あの内容(「本題に入る前の前置き」以前の自己イメージなどの話)なのですが、これは参考文献に入れるべきなのでしょうか?
元知人や知り合いによる口頭での説明は参考文献に入れるべきかという問題は案外、グレーゾーンだと感じます。
悩んだ結果、入れないことにしましたが、ここで「苫米地氏の理論を参考にしたことは書いておこう」と思い、入れました。
そういう背景も理解してもらえたら幸いです。
ではこの辺で。(3994文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。