どうも、武信です。(No715)
前回の記事が以下です。
2020年教育改革への僕の本「日本論文プラットフォーム」案の理論的根拠 PART1
僕は独自の日本の教育改革案「日本論文プラットフォーム」を提唱しました。
以下の記事に書かれています。
2020年教育改革への僕の本「日本論文プラットフォーム」フィクサーによる日本の教育改革本から PART1
2020年教育改革への僕の本「日本論文プラットフォーム」フィクサーによる日本の教育改革本からPART2
「この案の理論的根拠は何なのか?」改めて説明したいと思います。
僕の案の有用性がもっとよく理解できます。
「こういう理由・根拠に基づいて主張していたのか?」と。
詳しく知りたい方は続きをお読みください。
約9000文字の力作記事ですが、ほとんど引用部分です。
3 記事からの引用。
以下の記事を貼ります。
「部下を簡単に潰す上司たちに共通する「3大NG」」というタイトルです。
https://toyokeizai.net/articles/-/277029
一部、引用します。
「やはり成果主義が大切だ。成果を出せば報酬を上げると言えば、部下は頑張るよ」
「高い目標を与えることが大事だ。目標達成のために叱咤激励すれば、成果も上がる」
「仲間と競争させれば、目の色が変わってくる。オレも、部下同士の競争をあおっているよ」
多くの企業では、これがマネジャーの常識ではないだろうか。
しかしこれらの常識を覆したのが、心理学者エドワード・デシが書いた『人を伸ばす力』だ。
デシによると、報酬・高い目標設定・競争は、部下を潰すこともあるという。
オットセイの曲芸を見たことがある人は多いだろう。腹ペコのオットセイは飼育係が持つ魚を目当てに、前ビレで拍手したり観衆に手を振ったり、何でもやる。
オットセイを見て、こう考える人もいるかもしれない。
「同じように魚を与えれば、部下や子どももいうことをきくんじゃないかな?」
しかしオットセイはご褒美の魚がもらえないと、何もしなくなる。
動機付け理論ではこれを「外発的動機付け」と呼ぶ。」
魚がなくなると外発的動機付けは消える。あなたは部下や子どもに、魚が与えられなくても正しく行動してほしいはずだ。
心理学者ハリー・ハーロウは、サルの檻にパズルを入れてみた。すると何も報酬を与えないのに熱心に楽しそうにパズル解きに取り組んだという。ハーロウはこの現象に「内発的動機付け」と名付けた。要は「自ら学び、やる意欲」のことだ。
中略。
デシは追加実験した。無給で熱心に大学新聞を手伝っていた学生に報酬を支払った。お金が尽きて報酬が払えなくなると、学生は仕事に興味を失ってしまった。 人は誰からも指図されず自分で行動を選べるとき、生き生きと行動する。人は「自律性を持ちたい」と思っているからだ。自律性とは、自分の行動を自分で決めることだ。
外発的動機付けでは自律性が弱まる。「誰かに統制されている」という感覚になり、「自分でこの行動を選んだ」という感覚が弱まる。だから内発的動機付けも弱まるのだ。 デシはさらに追加で、金銭報酬でなく「パズルが解けないと罰する」という脅し文句を使って実験をした。
脅し文句は効果があり、パズル解きは順調に進んだ。しかしパズルを楽しむ感覚はすっかり消えてしまった。
人に圧力をかけるという点で仕事の目標押しつけ・締め切り設定・監視も「脅し」の一種だ。これらも内発的動機付けを低下させる。
デシはさらにパズルを2人1組で行い、タイムをより速くさせるグループと、相手と競争させるグループで比較してみた。
タイムをより速くさせたグループの内発的動機付けは変わらなかったが、相手と競争させたグループは内発的動機付けが弱まってしまった。
他人との競争も内発的動機付けを低下させてしまうのである。
つまり報酬・脅し・競争で、内発的動機付けは弱まったり、消滅してしまう。
人は自らが行動を選択することで、その行動に意味を感じて納得する。選択の機会が、内発的動機付けを高めるのだ。
中略。
実際には内発的動機付けにも、報酬はある。それは「楽しさと達成感」である。
ここで欠かせないのが「自分はこの仕事をこなせる力がある」という「有能感」だ。
この有能感は、誰でもできる仕事では得られない。
自分の能力を最大限に発揮し、達成したとき、初めて得られる。
そしてこの有能感に、「この行動は自分が選んだ」という自律性が伴えば、大きな満足が得られ、仕事の成果もあがる。
心理学者ミハイ・チクセントミハイが著書『フロー体験入門』で紹介したフロー体験は、これを高いレベルで実現した状態だ。
自律性と有能感のいずれか片方だけでは、内発的動機付けは高まらない。自律性と有能感が両方ともない場合は最悪だ。抑うつなどの状態に陥ることもある。
■「もっと統制しなければ…」の悪循環
常に好奇心と興味を持ち有能感と自律性を発揮できれば、人は成長し学び続けられる。
逆に管理・統制されると、人は無気力になり、自ら学ぼうとしなくなる。そして統制されないと何もできなくなってしまう。
それを見て「もっと統制しなければ」と考えるマネジャーもいる。これは悪循環だ。
本当に必要なのは逆だ。統制はやめ、人の自律性を支援することが必要なのだ。
その人を「1人の人間」として認めれば、人は「自分が有能で自律的だ」と考えるようになり、内発的動機を維持できるようになる。
一人ひとりが「これは自分自身で選択して行動している」と心底感じられることが必要なのだ。心理学者シーナ・アイエンガーが著書『選択の科学』で「自己決定感」が大切と述べている点と共通している。以上、ここまで。
4 センター国語の欠点と、書く力育成によって読解力も上がる論。
以下の記事で、センター国語の欠点について述べていきます。
「センター国語試験の弱点、盲点」
「センター国語試験の弱点、盲点」というタイトルです。
https://hontonomedia.com/educationcollegeentranceexamination/2107/
「センター国語試験の弱点、盲点」PART2というタイトルです。
以下の記事で、小論文の神様である樋口氏が書く力を育成することで、読解力も上がると主張しており、僕も偶然、それに気づいたと述べています。
https://hontonomedia.com/comprehension/1931/
「理解力とは?「小論文の神様「樋口祐一」氏と、僕のアイデアが同じだった!」」というタイトルです。
一部、引用します。
3 僕の考察。
「書く行為によって、読解力も高まるのだ!」という、ある意味、画期的な視点の主張でしょう。
僕もそれに気づき、樋口氏も本に既に書いてあったのです。
ますます、僕の構想した「日本論文プラットフォーム案」がいかに有用なものか?の証拠がまた一つ増えたと言えるでしょう。
「論文を書く行為」(小論文含む)は、かなり頭の体操になり、いろいろな方面に、能力を波及させていきます。
利点は以下。
1 主体性ややる気が上がる。(論文教育により、有名大学合格者が増えた事例がある)
2 アウトプットを意識して、インプットができる。
3 実際に書く行為によって、書く側の気持ちもわかり、読解力さえ上がる。
4 要約や書く行為によって、さらに本や文章の理解度・定着度が深まる。
5 ちきりんが指摘するようなSNSの履歴にまでつながり、実力が可視化されやすい。(履歴書代わりとなる)
欠点は以下。
1 論文を採点するのがかなり難しい。(実力ある採点者の人手不足や、客観性や公平性の担保の難しさや、手間暇がかかる)
2 日本論文プラットフォームを作っても、替え玉受験をされるリスクがある。
3 訓練でどこまで伸びるかは、人それぞれであり、向いていない人もいそう。以上、ここまで。
詳しくは記事を読んでください。
5 僕の総括的主張。
最後に僕の総括的主張をします。
つまり、実際の能力(論文力)が大学卒業者や研究者や学者には重要であり、それは実際に書かせるのが一番、てっとり早いという点がまず一つ。
次に、堀川高校の奇跡の事例にあるように、探究心が湧き、学業へも好影響を与えます。
そして、内発的動機づけが探究学習であり、論文執筆行為という点です。
外発的動機付けを弱まらせる効果がクリエイティブ行為(論文執筆)にはあるのです。
探究ですから、自分の好きな分野を突き詰めて研究したり、調べる行為ですから、内発的動機付けでしょう。
最後に、センター国語試験は欠陥がかなりある上に、小論文の神様である樋口氏も、僕も、書く行為によって読解力が上がるという視点を述べています。
これらの点から、「日本論文プラットフォーム」案は優れていると思われるのです。
高学歴の大半が論文をかなり書けて、ライティング能力も高く、創造的発想や問題発見、問題解決力まで身につけられば、エリートとしてはかなり能力が高くなるでしょう。
日本のエリートには本当に、これらの能力が欠けている人が多いですからね。
現代文で高得点をとっても、大学入学後にちゃんと論文教育を受けなければ伸びません。
日本人の学生って、大学入学後はあまり勉強しなくなる傾向があります。(特に文系)
だからこそ、受験期(もっとも日本人が勉強する)にもう論文執筆してもいいと思ったのです。
まぁ、これらの利点を文科省は理解しないので、取り入れる気配はなさそうです。
ではこの辺で。(4506文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。