2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本8 第10章 下」PART2

どうも、武信です。(No189)  

 

前回の記事が以下です。

 

  2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本8 第10章 下」PART2です。  

 

構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。  

 

フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。  

 

また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります)  

 

5 「すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。」」からの引用・まとめ

 

  「すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。」」から一部、引用します。  

 

では、何が偏差値60と70と80を分けるのか、それは根性プライドです。  

 

難関中学合格でも難関大学合格でもよいが、自分が成果を出そうとするときに、どこまで自分の成果にプライドを持ち、その成果を達成するために根性で頑張り続けられるかです。  

 

成果を出すためには、無味乾燥でつまらないことをしなければなりません。  

 

東京大や京都大の入試問題は、深い思考力を試す問題が多いですが、だからといって思考力だけを鍛えればよいというわけではありません。  

 

思考する以前に、土台となる知識が必要になります。  

 

英単語を数千語覚えるという無味乾燥な作業、漢字を覚え、四字熟語を覚え、ことわざ・慣用句を覚え、古典の文法を覚えるというつまらない作業。

 

地理では地名、山脈、河川、平野を覚えます。歴史では年号や人物名を覚えます。  

 

全部、それだけでは無味乾燥なつまらない作業です。  

 

でも、その成果にプライドを持ち、目標を達成するために根性で頑張り続けられるかどうかで、偏差値60、70、80の差が開きます。  

 

偏差値80のセグメントは、無味乾燥なつまらない作業をたとえつまらなくても。完璧にするためにプライドを持って続けられます。  

 

偏差値が高くなれば高くなるほど、薄皮のような差で偏差値が大きく変動します。  

 

他の人が努力し切れないところを、指一本の執念で頑張り続けることで差が生じます。P114~115。以上、ここまで。  

 

全体的に見て、つまらない暗記・知識偏重に偏っていることがわかります。  

 

その暗記量の差で、偏差値の60、70、80に差が出ます。  

 

知識活用が謳われ始めたのは、知識偏重の度が過ぎたからでしょう。

 

そこまで、マニアックな知識を詰めこんでも使わないのです。  

 

コンテンツ(内容)はほぼ無意味です。  

 

英語は読み(東大はリスニングもライティングも多少あります)に偏重し、現代文・古文・漢文は、民間のビジネス書や大学での論文を書く能力は養われません。  

 

書けるようになるには、自分で勉強が必要です。  

 

 6 「グローバル・エリートの条件」からの引用・まとめ

 

  「グローバル・エリートの条件」という本では日本の文章教育のお粗末さを嘆いています。  

 

P46に、アメリカは文章教育がしっかりなされていることが書かれています。

 

P47から引用します。  

 

最近では、一部の入学試験や入社試験に小論文を課すようになったので、多少事情は変わってきているようです。  

 

それでもなお、日本の大学生の書いたレポートは幼稚なものが多いです。  

 

ついでながら、名門大学を出た逸材ぞろいのはずの官僚の文章も、決して読みやすいとはいえません。

 

庶民に読ませないように書いたとしか思えません。  

 

きわめて長い文章は特に法律の文章に多いです。

 

文章講座の「悪文」の例にしたいものも多いです。  

 

日本語で書いた文章ですらそうなのだから、英語の文章はいわずもがなです。  

 

そもそも日本の大学ではレポートを書かせる機会が少ないので、大学院等でアメリカに留学してきた日本人はたいがい課題、レポートの多さに驚き、大変な苦労します。以上、ここまで。  

 

著者は、内閣官房参与の浜田宏一氏です。  

 

歴史(世界史、日本史)は、早稲田は特に、重箱の隅をつつく細かい知識が問われます。  

 

この知識合戦で勝ったのは、競争心の表れでしょうが、そんな知識を覚えたからといって応用(組み合わせ)の際に使える知識とはなりません。  

 

ただし、この暗記地獄に打ち勝つ経験はノウハウ力となり、弁護士などの暗記地獄試験には有利に働くようです。  

 

そして社長だからといって、結果を出した(出し続ける)社長かどうかも分かりません。  

 

つまり、従来の知識偏重の高学歴でも、社長を輩出し続ける可能性はありますが、どうせ大学入試をやるなら、その競争心を正しい努力(生きる力)に向けた方がいいのでは?という提案なのです。  

 

貴重な学生の若い時間なのです。

 

意味のある勉強をさせる必要があります。  

 

英語も実用的にし、国語もきちんとした文章を書けるようにし、歴史も歴史学の面白さを垣間見れるような試験がいいのではないでしょうか。  

 

7 「人工知能×ビッグデータが「人事」を変える」からの引用・まとめ

 

ここで、違うデータの視点から見てみます。  

 

「人工知能×ビッグデータが「人事」を変える」という本からの引用・まとめです。  

 

実際、自社内で活躍している人と活躍していない人を比べたとき、活躍している人は、80%の確率で、早慶クラス以上であったというという統計データもあります。  

 

また、ビジネス週刊誌においても「早慶、MARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)の実力」といった特集が組まれ、一部上場企業で役員になった人数で最も多いのが、早慶で、MARCHは少ないというデータが示されています。  

 

これを見た学校の教員、塾の講師、保護者たちが、早慶以上の大学に入ることが重要だと考えても不思議ではないし、人事担当者も早慶以上の学生なら、採用して安心という気持ちになります。  

 

また、「今年の内定者は早慶以上で○人」ということが言われ、その数をもって「今年は質のいい人材が採れた/採れなかった」などと判断されています。  

 

しかし、過去の統計的な数字において、「優秀な人材は早慶以上が80%」となったからといって、これを早慶から採用すべきであるととらえていいのでしょうか。  

 

従来の「ネイマン・ピアソン理論」による帰結ですが、ベイズ統計・確率を使うとそれは不毛な考えと結論付けられるかもしれないのです。 P59、60。  

 

ここで、ベイズ統計で計算が入ります。詳しくは本で。  

 

引用・まとめを再開します。  

 

結果だけを示せば、早慶以上の学歴をもってしても、企業で活躍できる人は5.7%しかいないということになります。  

 

これに対して、その他大学出身の場合は3.4%。  

 

確かに高学歴であると、活躍できる人になる確率が高いという結果ではありますが、その差はわずか2.3%にすぎません。  

 

難しい計算はさておき、「早慶以上の大学出身者に活躍できる人は多いですが、それは採用段階で母数が多いからです。  

 

少数派とはいえ、それ以外の大学出身者でも活躍できる人はいます」という結論は、しごく当然に思えるでしょう。  

この、現実に即し新しい情報を容易にいれていくことができる統計・確率理論の体系といの(誤植?タイプミス)が、ビッグデータ時代にあってベイズ統計が主流になりつつある理由ということです。P63、64。以上、ここまで。  

 

早慶以上の高学歴でも、企業で必ずしも活躍できていない現状があるようです。

 

やはり知識以外の要素が大きく関係しているのでしょう。  

 

活躍とはどのレベルを言うのか?が曖昧ですけどね。(本に書いてあったかもしれませんが忘れました。調査中)

 

8 ユダヤ人の思考法

 

では、ここで話題を思考力へ移します。  

 

日本の思考力重視の教育の将来の姿に、「ユダヤ人」の思考法は参考になるかもしれないと感じます。  

 

日本人は「情緒的、現象的、具体的、細分的、部分的」です。

ユダヤ人は「論理的、本質的、抽象的、全体的、総合的」です。  

 

日本人は「仏像の民」「目に見えるものに情緒的に動かされる人々」です。

ユダヤ人は「書物の民」「目に見えないものの本質を抽象的に追究する人々」です。  

 

金融業界、証券業界、ハリウッド業界、最近のIT業界の名だたる企業の創立者はその半分以上がユダヤ人です。  

 

Googleの創立者ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Dellのマイケル・デル、Microsoftのスティーブ・バルマー、Intelのアンディー・グローブなど。  

 

ノーベル賞受賞者の3割から4割は、ユダヤ人が占めています。

 

相当な業績、実績をユダヤ人は挙げています。  

 

日本人がモノづくりを得意なのは、日本人は「仏像の民」だからでしょう。  

 

ノーベル賞やIT、金融などの頭脳活動で勝負したいならば、ユダヤ式の思考法を研究する必要があると僕は感じました。  

 

日本の大学受験で思考力を重要視するなら、ユダヤ人の思考法は実績が挙がっていることからも参考になるでしょう。  

 

ユダヤ人とは関係ない話ですが、外国でのやり方は「説明して納得させる」ものです。  

 

日本は逆に、「体感として納得させる」やり方を取ります。  

 

日本では社訓を毎朝、読み上げるなどさせると、社員に染みついていく文化なのです。  

 

社訓を読み上げる会社は、メンタルヘルスの案件が少ないそうです。  

 

メンタルヘルスやモチベーションの良い人の特徴は、「会社の理念に共感しているか」だけで説明できます。

 

理念を浸透させるために、毎朝、社訓を読ませるのです。  

 

日本は仏像の民であり、モノづくりの国だから体感という手法が合っているのでしょうね。  

 

外国(ユダヤ人も?)は説明して納得させるわけですから、日本とはやり方が違います。  

 

ではこの辺で。(4701文字)  

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

 

参考・引用文献。

 

 

「すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。」

 

 

「グローバル・エリートの条件」

 

 

「人工知能×ビッグデータが「人事」を変える」

 

 

「現役東大生が教える「ゲーム式」暗記術」

 

 

「ユダヤ式Why思考法」

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