2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本8 第10章 下」PART3

どうも、武信です。(No190)

 

前回の記事が以下です。

 

 2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本8 第10章 下」PART3です。  

 

構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。  

 

フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。  

 

また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります)

 

 

9 イノベーターが増える秘策

 

次に、「日本でどうやったらイノベーターが増えるのか?」という秘策を、僕なりに考えてみました。  

 

まず、ビジネスコンテストは有効でしょう。

 

これは第5章で述べた通りです。  

 

次に、メディア(特にTV局)の力が必要です。

 

今まで持ち上げてきた人材像が、池上彰氏や林修氏などの教養系の人達ばかりです。  

 

また、高校生クイズも学問系です。普通の芸能人が出演するクイズ番組も教養系です。

 

日本という国は「学問・教養の国なのか!」と驚くばかりです。  

 

対して、ビジネス系の番組はほとんどありません。カンブリア宮殿はニッチです。

 

起業家を応援していた時期もありました。ホリエモンバブルのときです。  

 

ですが、それ以降は急速にしぼみました。ホリエモン潰しで起業家ブームが去りました。  

 

ちなみに金持ちになるには、「事業を興すか、投資家になるしかない」「大金持ちの教科書」に書かれています。

 

10 ユダヤ人の価値観

 

ここで、ユダヤ人の価値観を書きます。

 

「聖書によって人間をよく理解しており、しくみやビジネスに応用させてきた」価値観です。  

 

ビジネスとは人間を相手にするものであり、人間に対する理解が重要です。

 

「人々がなぜそのような行動をとるのか、なぜその商品やサービスにお金を払うのか」を考えないとモノを売ることができません。  

 

ユダヤ人は「しくみ」をつくるのが得意です。  

 

金融、保険、ハリウッド映画、情報・通信、百貨店、アパレルや化粧品ブランド、宝飾品などはユダヤ人が築き上げました。  

 

具体例で言えば、ロスチャイルド、デル、インテル、メイシーズ、シアーズ、ラルフ・ローレン、カルバン・クライン、エスティローダー、デビアス、ハリウッド映画はほとんどがユダヤ系資本です。  

 

ユダヤ人がこれらで大成功した理由は、人間のことを理解しているからです。  

 

ヘブライ聖書を日々勉強しているユダヤ人は、人間のことをよく理解しています。

 

ヘブライ聖書は人間を赤裸々に描いたものです。  

 

聖書に書かれた人間の本質は、4000年経った今も使えるのです。  

 

テクノロジーがいくら進化しようと、社会構造が変化しようと、人間の本質は不変です。  

 

ビジネススクールで学ぶケーススタディは20~30年先までしか通用しません。  

 

聖書から学ぶ人間の本質には、4000年先の未来までも予測できるヒントがあります。  

 

また、ユダヤ人にはノーベル賞受賞者が多いです。  

 

2016年現在、物理学賞では51人(全体では201人)、化学章では36人(全体では172人)、生理学・医学賞では56人(全体では210人)となっています。  

 

11 ユダヤ人の思考法2とその他

 

ユダヤ人の思考法に要因があるようです。

 

価値観だけでなく、思考法も侮れません。  

 

ユダヤ人の思考法では「Why」を重要視しているそうです。  

 

大半の人は見えやすい「What」から始めて、「How」最後に、「Why」と続きますが、「Why」までたどり着かない人も大勢います。  

 

自己紹介の例で言えば、「What」の「自分が何の仕事をしているか」はよくしますが、「How」の「仕事でのやり方、成果の出し方」まではあまり説明しません。  

 

最後の「Why」である「なぜ、その仕事をしているのか?」については、深く考えて職業を選んだ人が少ないことからも、少数派と言えるでしょう。  

 

「なぜ、あなたの会社が存在しているのか?」や「あなたが生きる目的は何なのか?」などは考えなくても生きていけるし、組織も存在できるので、そこまで深く考えない人が多いのですが、ユダヤ人は「Why」まで考えます。  

 

アメリカの大学受験は、GPA(学校の成績)とSAT(センター試験のようなもの)とエッセー面接の4つを、総合的に判断して決めますが、その際、GPAやSATの成績が足りなくても、エッセーや面接で「Why」である動機や熱意が評価されたら、受かる事例がけっこうあるそうです。  

 

日本人は医学部の学生ですら、「ただ頭が良かったから」という理由で進学する人が多いと聞きます。  

 

そこには、「医者になる明確な目的や理由」がないのです。  

 

「Why」を追求しないので、医者になっても、生きがいを感じられないとか、金儲けが動機だと仮にしたら、別の手段があったという発想すら浮かばないのです。  

 

ちなみに、アメリカでは原典主義の授業が成立しています。

 

理由は、日本のような知識偏重型の大学入試がないからです。

 

アメリカの大学入試はGPA(学校の成績)、SAT(数学と英語の一斉試験)、エッセイ、面接です。

 

歴史や科学、その他の科目は受験科目にありません。  

 

日本のように大学入試のための歴史や科学の過剰な知識詰め込みが必要ないので、深い議論や考察ができるというわけです。  

 

日本のTV局のクイズ番組を観ていると、まだ知識偏重がかなり残っています。

 

「どれくらい知っているか?」の記憶力番組です。  

 

そこには歴史であればどのような背景で、事件や戦争が発生したのかなどの考察がありません。  

 

歴史の勉強であれば、教訓として役立てることが一番大事であり、単に知識を記号のように知っていても大して役立ちません。  

 

日本の知識偏重主義はまったく矯正されそうにないように思いましたが、今後の大学入試改革で変わるのでしょうか?(少なくともTV局は変わらないようです)  

 

ユダヤ人の学習法の特徴として分類があります。

 

細かく分類すればするほど、学問は発展するという思想です。  

 

詳しくは、「ユダヤ式エッセンシャル学習法」のP102~138を読んでください。  

 

プログラミングの発想法とも似ている気がします。

 

プログラミングは行程を詳しく書きますが、その行程と分類が似ている感じを受けました。  

 

分類するとは名前をつけるということであり、名前をつければ他と区別されますから、より詳細に理解できるようになります。  

 

極端な話、色の分類が赤と白しかなければ世界勘が狭まります。

 

色に名前を細かくつけ、分類しているから認識がより精細になるのです。  

 

12 理系の特徴とその他

 

さて、理系の高学歴以外、「知識集約型では、起業は難しい」と述べてきました。  

 

ですが「理系は往々にして、人間に興味がなく、モノ偏重だ」とも述べてきました。

 

「コミュ力も、不足している傾向がある」とも述べてきました。  

 

この理系の特徴は「ビジネス、特にマーケティングにおいては非常にマズイ」と僕は危惧しています。  

 

ビジネスの本質は人間理解だからです。  

 

「何を欲しているか?」を探る嗅覚は、深い人間理解なくして、得られにくいです。  

 

データ分析などで、ヒット商品が生まれる場合もありますが、万能なのでしょうか?  

 

しかも、データ分析は過去の分析であり、新しい商品は生み出せません。  

 

馬車の時代に過去の分析では、車の発想は生まれません。  

 

イノベーターを生み出すためには理系の技術偏重を修正し、人間理解をもう少し深めるべきかもしれないです。

 

少なくとも人間への興味がなければ、データ分析に偏重することになります。  

 

ちなみに「文系科目だけ、大幅に教育改革すればいい」と僕は考えています。

 

文系はあまりにも暗記偏重でした。

 

歴史は膨大な暗記の嵐。  

 

国語は論理力と謳っていますが、難解(簡単だと入試として成立しないため)で駄文で、しかも、作者でさえ正解にたどり着けるかわからないような問題です。

 

そして、コンテンツとして古文・漢文は時代遅れです。  

 

英語は議論の余地があるでしょう。

 

母国語でない英語で深い思考をするのはかなり難しいです。  

 

「英語運用能力だけ測れればいい」という意見ももちろんあるでしょう。  

 

対して、理系は今のままでも実績を出しています。  

 

理系は膨大に学ぶ分野があるし、細分化しています。

 

従来の理系の大学入試でも世界に通用するのではないでしょうか。  

 

今の日本の理系に足りないとしたら、ビジネス面(人間に対しての理解・興味やビジネス系の知識)とコミュ力でしょう。  

 

ちなみに、コミュ力といっても僕の定義するコミュ力は表面上のよく喋るという意味合いではないですからね。  

 

「現役東大生が教える「ゲーム式」暗記術」という本のP86には東大生は根暗で口下手かと思っていたがお喋りだったという記述があります。  

 

しかも、著者の観測範囲の東大生は文系か理系か書いていないです。  

 

理系の東大生の大半の人達のデータが欲しいところです。(東大に限らず、高学歴の理系のコミュ力のデータが欲しいです)  

 

僕のコミュ力の定義については、以下の記事を参照してください。  

 

ですが、「ビジネス面とコミュ力は理系で素養のある人間か、あるいは文系が補えばいい」という主張ももちろんあります。  

 

理系は暗記が通用しづらい分野です。

 

数学・物理はもちろん、化学も半分ぐらいしか暗記が通用しません。  

 

生物は暗記が多いです。

 

理系はそもそも暗記偏重ではないのですから、正す必要性が薄いのです。

 

文系の大量の暗記が役立つ場面は、法律職です。

 

前にも触れました。

 

法律職は膨大な暗記を必要とします。  

 

または従来の入試で求められてきた情報処理能力が高いことは、大量の情報処理をする今の現代ではある程度必要です。  

 

暗記と情報処理能力を試す入試は実はある程度、必要です。  

 

ですが、そればかりに偏重した結果が思考力の欠如であり、新しい発想をしない、課題設定をしない人間を大量に生み出してきたということになります。  

 

ですが、日本人が従順に社員をこなしているのもその入試の賜物かもしれません。  

 

思考力をつけた人間は果たして従順に社員をするのでしょうか?  

 

エリートならば、思考力重視は正しい路線でしょう。  

 

日本のエリートが暗記と事務処理能力偏重に走ったのは、日本のエリートの迷走でしょう。  

 

ですが、大勢の相手を対象とする大学入試で、思考力重視になると智恵がつくことになり、組織に従順に従うのか?疑問です。  

 

もちろん、起業家が増えるという良い副作用が出れば日本の活路となるでしょう。  

 

「思考力重視の入試によって、起業家が増える副作用が出るのかどうか?」期待してみたいところではあります。  

 

13 「ユダヤ式Why思考法」からの引用

 

最後に、僕の論考の証左として「ユダヤ式Why思考法」から引用します。P34から。  

 

議論・反論することの重要性。

 

「上の者に文句をいう」これがユダヤ人の特性だ。  

 

神に対してすら文句をいうのだから、人間の上司や組織の長に対して、ユダヤ人は容赦しない。  

 

1万人の日本人をまとめるより、100人のアメリカ人をまとめる方が難しく、100人のアメリカ人を統率することに比べ、5人のユダヤ人の指揮をとることは至難の業である。  

 

そう経営組織論でいわれる所以はここにある。以上、ここまで。  

 

「ユダヤ人の思考力重視路線を採ると、どうなるか?」未来図がぼんやり見えてこないでしょうか?  

 

日本の理想の大学受験制度についてはさらに詳しく、第14章、第15章、第16章で追求していくことにします。

 

特に、第17章で僕は日本の教育の構想を提唱します。  

 

ではこの辺で。(5378文字)  

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

 

参考・引用文献。

 

 

「ユダヤ式Why思考法」

 

 

「ダントツにすごい人になる」

 

 

「ユダヤ式エッセンシャル学習法」

 

 

「現役東大生が教える「ゲーム式」暗記術」

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