2020年教育改革の結論「2019年12月17日時点での教育改革の結論」PART2 

どうも、武信です。(No273)  

 

前回の記事が以下です。  

 

2020年の教育改革(主に、大学入試)について、いろいろと議論や騒動が起きていました。  

 

そして、ようやく、2019年12月17日に一応の決着がついたようです。  

 

今回はその決着の様子について書きます。  

 

興味がある人は続きをお読みください。

 

 

4 叩き台を作った人の価値。

 

以下の記事を貼ります。

 

https://note.com/azamixx/n/n08c6fc5dd02a

「「たたき台」を作る人が一番えらい」というタイトルです。

 

一部、引用します。

 

記事の原稿でも提案資料でもデザインでも、『たたき台を作る人が一番えらい』ってことを伝えたいです。

 

いいですか。たたき台を作るってのは「ゼロ→イチ」なんですよ。

 

ゼロ→イチがどんな作業よりも、もっとも時間も労力もかかる。

 

これを理解せず、ゼロ→イチをやってくれた人にリスペクトをせず、平然とたたき台を“叩くだけ”の人が多いです。

 

イチがなければ、議論もフィードバックもできないわけで、その第一歩にしっかりコミットしてくれたことにリスペクトをすることが超絶大事なんですよ。

 

にも関わらず、例えば書き起こしのライターさんが作ってくれた原稿を、なんの感謝もなくバシバシ赤入れをしていく、みたいなのがとても昭和的で…(そこに信頼関係があれば別ですが、顔の見えない人と赤字だけのコミュニケーションをするケースもあるので、それがめちゃつらい)

 

いつしか箕輪さんもこんな風なこと言ってました。(多分こんな風なこと、うる覚え)

 

「ライターさんが書き起こしをした原稿をみて『こんなんだったら自分で書けばよかった』っていう著者がいるけど、ゼロ→イチやるのってマジで大変だから、クソみたいな原稿でもたたき台があることがどれだけありがたいことか。最初のたたき台を作る人、本当にすごい」

 

略。

 

ちなみに!どうやってリスペクトを表明したらいいかわからない人のために、こんなことを大切にするといいですよって話。

 

・まずゼロ→イチを作ってくれたことに感謝を伝える

・感想を述べる(良い点から具体的に述べる)

・さらに良くするために「こういう風にできますか?」と提案をする(可能な限り“指示”じゃなくて提案)

・自分にできることを最大限やる(参考のイメージを集めたり、文を直す場合「こういう風な感じとかどうでしょうか?」みたいな具体例をだす) 以上、ここまで。

 

僕の「フィクサーによる日本の教育改革本」も言わば、叩き台です。

 

この叩き台を元にして、日本の教育改革が文科省により進められたと踏んでいます。

 

ですが、僕の構想がちゃんと通じていなくて、一部、改悪されていますけどね。

 

国語の記述式については少なくとも、僕の理念は伝わっていませんでした。

 

英語の民間試験採用については、以下の記事で解決策を述べています。

 

英語の民間試験問題についての解決策「僕が考えた画期的な解決策はこれだ!?と思いきや。。。」

「英語の民間試験問題についての解決策「僕が考えた画期的な解決策はこれだ!?と思いきや。。。」」というタイトルです。

 

英検準1級やTOEFLスコア○以上を、センター試験満点扱いにするという案です。

 

これで、英語の民間試験を使い、少なくともセンターは突破し、大学に合格できる人も出てくるかもしれません。(僕は英検1級や、TOEFLスコア○以上は、さらに国立の2次試験もパスできるようにすればいいとも思っています)

 

従来のセンター試験や国立の2次試験も残りますし、難易度的にも英検やTOEFLの方が上らしいので、民間資格を使う人はおそらく少数派であり、そこまで不満がでないと僕は思いますけどね。(正確には、センター試験満点の方が若干、英検準1級より難易度は上)

 

5 補足編。

 

補足編として、以下の記事を貼ります。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191215-00000003-courrier-int

「なぜ日本の大学は世界にこれほど遅れをとっているのか─「スーパーグローバル」になれない3つの要因」というタイトルです。

 

低迷する日本の大学の国際競争力

 

国内の大学に77億円の資金を投じるという安倍首相の教育改革とは裏腹に、2019年9月に発表された「タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)」による「世界大学ランキング2020」は、日本にとってなんとも都合の悪い内容だった。

 

世界のトップ200にランクインしている日本の大学は、たったの2校だったのだ。

 

5校ランクインしていた2013年からさらに悪くなっている。

 

2019年、東京大学は36位でキングスカレッジロンドンと並んでいるが、35位の香港大学には及ばなかった。

 

京都大学は65位で、韓国のソウル大学校に1位負けている。 国公立、私立合わせて何百とある(2017年の推定では604校)日本の大学にとって、順位の低さは長年の痛点だ。

 

「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が取材した教育専門家5人全員が、その理由については同じ見解だった。

 

英語でのイノベーション、大学財源、国際化のいずれもが欠けていることの結果だという。

 

世界大学ランキングはどうやって決める?

 

THE世界大学ランキングは、次の5要因で評価する。

1. 教育(学習環境)

2. 研究(量、収入、評判)

3. 論文引用数(研究影響力)

4. 国際観(教職員、学生、研究)

5. 産業収入(知識転移)

 

各カテゴリのウェイトは同じではなく、合計で最終スコア100となる。

 

引用数のカテゴリは、その大学から出版された各論文が国際的な研究者によって引用された回数の平均を計算し、100点満点中30点もの配点となっている。

 

日本では、論文のほとんどが未だに日本語で出版されており、外国人の学者にはほとんど活用してもらえない──と言うのは、早稲田大学研究戦略センターの松永康教授だ。

 

日本の大学の国際順位の低さに関する著書も多い。

 

日本で研究しているが、海外とのギャップを埋めるため、これまでに12論文を英語で翻訳・出版している。

 

松永は言う。

「工学などの自然科学分野でも、研究は日本語で実施されます。この傾向は社会科学でも見られます。それは研究が日本語で評価されるからです

 

英語での論文が増えない

 

THE最高知識責任者(CKO)のフィル・ベイティーは、他の指標も加えるように言われていると話す。

 

たとえば、成功している卒業生の数や、奨学金や助成金の受給者数に基づいた社会的包括性などだ。

 

しかし彼はいまも、もっと一般的な指標による評価が最善だと思っている。

 

ベイティーは言う。

「ビジネス、芸術、文化、政府あるいは世界全体で影響力のある人々をすべて包括したリストをつくる着実な方法がわからないんです。

 

定期的に指標項目を再検討していますが、私たちが利用しようとする新しいデータ一式が充分に信頼できるものであり、国をまたいださまざまなシステムの比較に適切かどうかが課題です」

 

テンプル大学ジャパンでアジア研究ディレクターを務めるジェフ・キングストン曰く、各大学が英語での論文を増やすべきなのに、学者たちにはそのモチベーションがほとんどないという。

 

「『パブリッシュ・オア・ペリッシュ(論文などを書かない学者は消滅する)』という精神は存在しません。

 

一度採用されれば、在任期間は自動的です。ですからアメとムチもなくやる気にさせるのは難しいわけです」

 

そもそも知的創造の場ではなかった

 

さらにやっかいなことに、日本の大学では1990年代まで、そもそも研究活動自体が重視されていなかった──と言うのは、香港大学の助教授で教育について研究しているR・ヒューゴ・ホルタだ。

 

「つい最近まで、大学の役割は別の場所で生み出された知識を集めて統合する場所であって、創造する場所ではなかったのです

 

ソフトバンクやソニーといった日本のテクノロジー企業が、同国の研究開発をけん引しているとキングストンは言う。

 

「これらの企業が競争力を保ち、その直接的な動機がある一方で、大学は学術研究など重視しない管理者が運営するお役所にすぎないのです」

 

カネはもらえず成果を要求される

 

もうひとつの課題が、公的資金の不足だ。

 

2016年に日本政府が大学教育に投じた費用は全体の1.6%に過ぎず、OECD諸国で最低ラインだ。

 

OECD諸国の平均は2.9%となっている。

 

「政府は高等教育にほんの少ししか投資せず、彼らに助けなしで順位を上げることを期待しているのです。安倍首相らしい中身のない、政治的なスタンドプレーです」

 

キングストンはアベノミクスの「第三の矢」である経済成長戦略に言及しながら言った。

 

この戦略には、2023年までに37の大学を国際化して「スーパーグローバル大学」を創生するプログラムや、日本に学びに来る外国人学生への奨学金授与などが含まれる。

 

「ジャパンタイムズ」紙によると、日本の大学は順位アップの前にもっと改革の必要があるという。

 

たとえば、学年の始まりを春ではなく秋にしたり、海外の大学と国際提携を結び、留学生を多く呼び込んだりすることなどだ。

 

国際観の欠如はしょうがない?

 

日本の大学のTHEランキングスコアの低さは、その「国際観」ゆえでもある。

 

外国人留学生、外国人教職員、国際的コラボレーションなどの割合をもとに100点満点で評価されるカテゴリだ。

 

東京大学の国際観は38.2点、京都大学は33.7点と、たとえば95.1点のシンガポールの南洋工科大、95.5点のシンガポール国立大学などからかなり引き離されている。

 

東京大学大学院教育学研究科准教授の北村友人の主張によれば、シンガポールの大学の国際的態度が非常に高いのは、東南アジアにあるシンガポールは日本よりもずっと多文化国だからだ。

 

「シンガポール人だけの学校は成り立ちません。ですが、その論理は東京大学には当てはめられないんです」

 

2019年、日本で高校を卒業したのは105万人で、その54.7%が同年に大学進学した。

 

中央教育審議会の報告によると、2040年には日本の18歳人口が30%減少する見込みだ。

 

学生数が減り続ける一方で、大学はこれまで、海外留学生を惹きつけて欠員枠を埋めるという対策を取り損ねてきたと専門家たちは言う。

 

海外留学生を惹きつけられない

 

政府組織である日本私立学校振興・共済事業団の報告によると、2018年、日本の私立大学と短期大学の40%は、政府が決定した留学生定員と日本人定員を満たせなかった。

 

日本学生支援機構の統計によると、外国人学生の数は2013年から2018年に77.8%上昇したとしているが、この大多数は短期の語学留学生だ。

 

2018年、日本に来た全留学生29万8980人のうち、日本の大学に正式な学生として入学しているのは30%に満たない。

 

アメリカから東京外国語大学に留学していたコニー・ルックは、ニューヨーク州立大学アルバニー校で学んだあと、2012年に来日した。

 

彼女はクリエイティビティのなさが面白くなかったと話す。

「教師たちはテキストに基づいて教え、学生たちは従うように教えられています。まるでロボットのように。私たちは教科書やテスト以上のことを考えるべきです。それが日本には欠けているんです」

 

結局のところ、日本の大学の大半は国際順位を上げるために必要なことをやる気がないのだ──テンプル大学ジャパンのキングストンはそう思っている。

 

「海外の学生や研究者をリクルートする必要があります。そして実績とアウトプットに重きを置くべきです。しかし、無用な人間が多すぎるうえに、リーダーシップがなさすぎるんです」

 

日本の大学にいいところもある…

 

東京大学の北村准教授は、日本は「グローバリゼーションを推し進めるべきだ」ということに同意しつつも、いくつかある長所が見過ごされていると感じている。

 

「理系の課程では、学生たちが実験室中心の教育を受けられます。学びと研究実践が同時にできるんです」

 

人文学では、学生が国内で著名な学者と一緒に研究でき、「アメリカの有名教授たちとはそんなことができない」と北村は付け加えた。

 

THEなどの国際ランキングで上位を狙うより、日本の大学は地域と特定産業に特化したランキングに焦点を合わせるべきだ、と松永をはじめとした学者たちは言う。

 

たとえば、ノーベル賞受賞者数やその大学から優れた実業家が出ているかどうかが指標となるランキングだ。

 

「非英語圏で同じ状況に直面している研究分野はたくさんあります──工学、臨床医学、社会科学、人文学など。私たち独自のランキングをつくるのもありかもしれませんね」以上、ここまで。

 

6 僕の考察2

 

素晴らしい文章だったため、ほとんど引用してしまいました。

 

日本の大学の国際化はかなり遅れており、英語の民間試験採用に反対なのも、大学教授らがあまり英語を使いこなせていない点に理由があるような気がしました。

 

というより、日本の学問、知はそもそも日本語圏である程度、完結できるほどであり、他の国々は英語で学問を学ばざるを得ないからこそ、英語で授業をやっていると聴いたことがあります。

 

つまり、日本では学問を英語でやる必要性がなく、日本語でできてしまうのです。

 

これが逆に、仇になり、日本語で論文を書き、英語で論文を発表する機会が乏しくなり、大学ランキングを下げているのでしょう。

 

ならば、解決策としては、「大学で論文系の翻訳家を雇うこと」でしょう。

 

今でも、日本の出版界では、翻訳本を出す際、翻訳家とライターの2重チェックがあるような気がしています。

 

翻訳家の下手な翻訳文を、文章のプロであるライターがチェックして、上手い文章に仕立てあげれば、翻訳本の完成度は上がるのです。

 

分業です。

 

日本の大学もこれを行えば、日本の論文を英語圏へ出せるはずです。(ただし、そもそも「日本の大学は創造の場じゃない」という指摘もあり、単なる大学教授の怠慢の可能性もあります。それはこの翻訳体制が敷かれても、ランキングが上がらなければ、大学教授の怠慢であったということが証明されます)

 

日本の大学に、論文を翻訳する専門家を置くのが、すぐにできそうな策でしょう。

 

出版界がやっているように。

 

理系は実験室があり、僕は「行く価値がある大学は理系ぐらいだ」と思っています。

 

人文学では著名な大学教授と一緒に研究ができるといいますが、そもそも日本の人文学の教授はレベルが高いのか不明な点と(社会科学ですが、政治学のコンテンストの論文みましたが、ひどすぎです)、人文学自体の学問にどこまでの現在、将来的な価値があるか不明なので、多様性確保のために存続されている点があると思います。

 

ほとんどの社会的な問題の解決策はテクノロジー、つまり理系が解決しますし、人文学は倫理や哲学など、そういう枠組みを作れる人だけが必要であり、「少数精鋭で大丈夫だ」と僕は考えています。

 

ではこの辺で。(6523文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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