どうも、武信です。(No574)
「フィクサーによる日本の教育改革本」シリーズの記事ですね。
2017年の記事です。
僕は「フィクサーによる日本の教育改革本」で、散々、日本の教育改革について深く考察してきました。
そしてそれなりに影響力があったので、一部、採用されたようです。
しかし、その僕の教育改革案に影響を与えそうな記事が出てきたのです。
この記事により、教育改革もどういう方向性でいくか、悩むべきところが出てきたかもしれません。
興味がある方は、続きをお読みください。
短く、サクッと読める内容です。
1 記事の要約。
まず、以下の記事をお読みください。
「音楽の才能は遺伝が9割。スポーツの8割を上回る結果に」というタイトルです。
簡単に要約します。
「音楽の才能は9割は遺伝であり、作曲ができない人はまずできない」ということです。
スポーツも8割遺伝です。
この2つは音楽、スポーツ界は才能の世界と言われており、特殊な世界ですし、少数の人しか適応しないですから、多くの人に関係ない話なので特に、問題ないでしょう。
しかし、次の2つは関係があります。
数学は遺伝が8.5割です。
執筆は遺伝が8.1割であり、文章が書けない人はいくら教育しても書けないようです。
この2つが僕には想定外です。
いや、正確には執筆能力についてです。
数学は前から、何となく才能の世界だと分かっていましたが、まさか「執筆能力までとは?」ということです。(週刊現代?などの雑誌で前に公表されてましたが、週刊誌だしなと当時は思っていました)
2 僕の記事の紹介&僕の主張。
僕は以下の記事で、論文プラットフォーム構想を書いていました。
文章は論文なら、訓練すればほとんどの人が上達すると考えたからです。
「日本論文プラットフォーム」
2020年教育改革への僕の本「日本論文プラットフォーム」フィクサーによる日本の教育改革本から PART1
2020年教育改革への僕の本「日本論文プラットフォーム」フィクサーによる日本の教育改革本からPART2
他にも、現在の国語教育を疑問視している記事がこちらです。
「現代文、小論文という試験の危険性について」
2020年教育改革への僕の本「現代文、小論文という試験の危険性について」
しかし、その前提が崩れそうです。
「論文を書けない層がいる」という事実です。
とはいえ、数学(正確には統計学系かな)と国語力(正確には論文力など)がないと、大学教育についていけないと思います。
データを基に、論文を書くのが大学での勉強だからです。
しかし、この2つが遺伝が主となると、「大学教育についていけない層がいる」ということですね。
もちろん、遺伝率が高いといっても、「ノーベル賞級なのか、普通レベルなのか」によっても変わってきます。
統計学の基礎がわかる程度には、数学の才能があり、論文が書ける程度には、文章力があれば今回の記事も関係ないかもしれません。
いわゆる執筆力といっても、小説家の名文のような文才が必要な場合かもしれませんしね。
さらに、最近、センター国語は情報処理能力が必須ということを再確認しました。
情報処理能力がないと、高得点は間違いなく、取れません。
速読に関しては、「科学的には訓練できない」とされています。
つまり、遺伝のようです。
実際、僕は速読がどうしてもできず、速読教室や速読ソフトなどに大量に金をかけて訓練した時期がありましたが、上達しませんでした。
速読を身につけようと思った理由は、書評家を目指していた時期があり、「自分の文章スピードでは差別化した仕事にはならない」と思ったからです。
しかし、身につきませんでした。
ちなみに、音声については、ある程度、速く聴けます。
速読ができません。
なので、情報処理能力が必須のセンター国語とはかなり相性が悪いです。
情報処理能力もある意味、遺伝だとしたら、もう既に、遺伝がかなり学歴には関係していると言えます。(数学、国語など多数)
ここに、執筆能力が加わるといっても、大して影響がないかもしれません。
3 最後に。
ともかく、今回の記事はもっと深い研究が必要な気がします。
「才能の遺伝といってもどのレベルなのか?」です。
この才能の遺伝がどのレベルなのか?という調査や研究は意義があるかもしれません。(というより、僕が知りたいです)
ではこの辺で。(2257文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。