どうも、武信です。(No289)  

 

昔に書いた記事です。2014年~2015年頃ですかね。

 

「フィクサーによる日本の教育改革本」を書き始めた頃ですね。  

 

「フィクサーによる日本の教育改革本の前置き」として、書いていましたが、今は削っています。  

 

「タイトルの意味は読んでいくうちに判明していく」、と当時は書いていました。  

 

せっかく書いた力作系の前置きなのですが、今は削っており、もったいなくも感じるので、別記事として載せます。  

興味がある方はぜひ続きをお読みください。  

 

 

1 ゼロベース思考と確率論の概要

 

突然ですが、「肩書のある人、高学歴者」は、確率的に能力者が多いです。  

 

しかし、稀にハズレがいるので、それらを見極めるために、「ゼロベース思考(真っ白な状態で疑う)」をするといいでしょう。  

 

逆に、「肩書のない人、低学歴者」は、確率的に能力が低いです。(もしくは、活躍するジャンルが違います。G型やL型の区分けのように。後述します)  

 

しかし、稀に「高能力者」が紛れているので、「ゼロベース思考」で見極めるといいです。  

 

能力者にも、この法則は当てはまります。  

 

能力者は確率的に選択も正しいし、実力を発揮するでしょう。

 

しかし、権威でも外すように、たまに間違えます。  

 

それを見極めるために、「ゼロベース思考」で、一応疑うのです。  

 

逆に、低能力者は確率的に選択を間違えるし、実力も発揮しませんが、たまに正しいことを言う場合があります。それを捉えれば、自分の知識になります。  

 

もっと、分かりやすく言います。  

 

凡人名手名人の順に力量が上です。  

 

凡人は名手から学び、名手は名人から、学びます。  

 

名人は一番上なので、学ぶ対象がないですが、凡人から少しでも学ぶことがあれば、吸収するので、上達していきます。全くダメな凡人でも、反面教師として学ぶのです。  

 

また、長い期間で見れば、「大数の法則」の通り、実力に収斂(しゅうれん)します。  

 

長い期間やたくさんの試行回数で、その人の実力を判断すべきだと考えます。  

 

一発屋やまぐれの成功は、その人の本当の実力ではないのではないでしょうか?  

 

長い目で見れば、実力こそが、本当の長期的な成功への道であると僕は考えています。  

 

逆に、短期決戦であるなら、実力以外に、運の要素も大いに関係します。  

 

まとめますと、長い期間で人生を見ようという主張と、権威や高能力者でも稀に外すので、ゼロベース思考で念のため疑いましょうという話です。  

 

★ここまで読んで、抽象的すぎて、意味がわからないと思った方もいるかもしれません。知性がある者かどうか?への挑戦状ですので、意欲ある方は続きをお読みください。  

 

2 シグナルと専門外の話

 

ただし、注意点があります。  

 

人がゼロベース思考で疑うことができるのは、自分の詳しい専門分野だけだということです。  

 

専門外のことは、シグナル(肩書や権威など)で判断せざるを得ませんよね?  

 

もしくは、自分の信頼している「専門家や部下や参謀」が評価している人なら、安心でしょう。  

 

自分の詳しい分野は、シグナルだけで判断しないで、内容をきちんと見て疑うべきでしょう。

 

権威でも、たまに間違えるからです。  

 

「誰が言うのか」ではなく、「何を言うのか」で、内容をきちんと見るのです。  

 

自分の専門外のことは、信用の置ける外部に任せるか、シグナルで判断せざるを得ないのは確かです。  

 

専門外が多ければ多いほど、学歴・資格・肩書などの、シグナル重視になります。  

 

上の立場(社長や政治家など)に立つほど、自分の専門外のことが増えてきます。  

 

となりますと、自分の力で内容だけで、判断できる事柄が減ってきます。  

 

上の立場の人は、伝聞で決断を下すことが多くなるわけです。  

 

もちろん、その伝聞は「信頼の置ける参謀など」からのものです。  

 

自分の専門外のことを、なるべく知るようにすることは大事ですが、完璧に知ることはできないのですから、あまり口先を挟むべきではないでしょう。  

 

「餅は餅屋に聞け」というわけです。専門家や現場に任せた方が、いいということです。  

 

ですが、勝間和代氏の「専門家はウソをつく」という本によると、専門家にもいろいろな人種がおり、新しい知見を吸収しない人もいるそうです。(勝間さんは批判されていますが、良い本も書いていると思っています。この本は良書です)  

 

本当に信頼が置けて、実力がある専門家を参謀に置かないと、判断を誤る可能性が高まるでしょう。  

 

自分の専門分野でも、慎重な判定が求められるのに、専門外となったら、ほぼ伝聞になります。  

 

現場がウソをついていて、トップが判断を誤ったとことになっても、トップの責任になります。伝聞情報は、徹底的な確認が必要となるでしょう。  

 

ゼロベース思考の利点は、権威を盲目的に信じすぎず、「何を言うのか」の部分を増やすことで、間違えるリスクを減らせることにあります。  

 

自分の専門分野は、権威にも挑戦するのもありですね。  

 

上の立場の人は全てを知ることはできませんから、専門外の知識が増え、伝聞となります。  

 

専門外は、「信頼の置ける参謀」をいかに確保できるか?が問われるのです。  

 

★ここまで読んで、「何て抽象的な話なんだ!」と思った人は多いかもしれません。

 

しかし、元々、こういう系統の話なのです。

 

知性ある者かどうかの、挑戦状は続きます。

 

 

3 決断、判断、ポジションの話

 

まだ抽象論が続きますが、なんとかついてきてください。  

 

そして、本を書いていて感じるのですが、「決断を下す、判断をする、ポジションを取ること」が、いかに難しいかということです。  

 

全体を俯瞰して分析しているのですが、情勢がかなり変わってきています。  

 

円安で、電機産業が復活気味との報道を聞いたかと思いきや、東芝やシャープが失速気味だとか、アベノミクスの是非とか混沌としてきました。

 

大前研一氏やクルーグマン氏が過去に間違えたとしても、確率的に意思決定の間違いが少なかったのなら、仕方ない判断だったのかもしれないと思うようになりました。  

 

ただ、重要な判断(大前氏の「中国に進出せよ」など)はマズイですし、欧米の経済の当局者の権威を日本が信じていたら(クルーグマンが「日本への謝罪」というタイトルで、コラムで指摘していた)、やはりマズかったですし、重要な判断は相当慎重にすべきということは言えます。  

 

ポジションを取るのは、本当に難しいです。  

 

将棋の棋士が膨大な経験とセンスで直感的に手が見えて、その複数の手を考慮して、決断して、一手一手決めていくように、経営者も経験とセンスで、良い決断の指し手が見えて、後で論理とデータで補強していくというイメージがあります。  

 

スティーブ・ジョブズは最後の決断をサイコロで決めていたという話も読みました。  

 

それほど意思決定は難しいのです。  

 

経験とセンスで、直感的に指し手が見えて、後で論理と理由付けとデータで補強するのが、成功のセオリーだと僕は実感しています。  

 

長年、その分野に接していれば、筋の良い論理や主張かはだいたいわかるものです。  

 

あとは、それを論理とデータで補強して、説得力を持たせればいいのでしょう。  

 

ピケティの主張も恐らくありふれていますが、データ実証が凄かったので、流行っているのだと思います。  

 

ちなみに、ピケティは労働よりも、投資の方が儲かるという単純な論理を主張しています。  

 

株式投資の方が、地道な労働より儲かるというのは、直感的にもイメージしやすいですね。(株式投資は税金も低いです)  

 

PART2に続きます。

 

ではこの辺で。(3321文字)  

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。  

 

参考・引用文献。

「専門家はウソをつく」

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