「自己評価と他者評価の話」フィクサーによる日本の教育改革本から

どうも、武信です。(No63)

 

「フィクサーによる日本の教育改革本」の、「本題に入る前の前置き編」の5番目の内容です。

 

僕の「フィクサーによる日本の教育改革本」は壮大な本となっており、新書4冊分はあります。

 

その一部ですから、有料級の情報です。

 

惜しみなく、放出していきます。

 

さて、皆さんは「自己評価」と「他者評価」と聞いて、何を思い浮かべますか?

 

「自分を評価すること」と「他人を評価すること?」と思った貴方、正解です。

 

「この2つは実は差がある!」というのが今回の話です。

 

興味がある人は続きをお読みください。

 

「フィクサーによる日本の教育改革本」からの抜粋です。

 

5 自己評価と他者評価の話。

a 自己評価と他者評価の説明。

まず言いたいことが、「自己評価と他者評価は違う」という点です。

 

自己評価とは「自分で自分に下す評価」のことであり、これは悪い意味で言えば、「自己満足」につながります。

 

他者評価とは「他人が下す評価」のことであり、「大学受験などの試験や就職や仕事や恋愛など」、様々な場面で他人によって判定されます。

 

さて、自己評価が高いということは良い面で言えば、自己イメージが高いことに加えて、自分への評価基準が高く、自分に厳しく、当たり前の基準が高く、果ては「世界一じゃないと気持ち悪い感覚」まで行き着く人もいます。

 

★いきなりイメージしにくい用語で、戸惑った人もいるかもしれませんが、ついてきてください。

 

b 自己評価と他者評価のギャップ。

 

しかし、自己評価が高いからといって、他者の自分への評価=自分の評価が一致するとは限りません。

 

「自分が自分に下す魅力やスキル」と「他人が僕たちに下す魅力とスキル」には、ギャップがある場合も当然あります。

 

このギャップ(差)で人は悩みます。

 

自己評価や自己イメージが高く、しかも努力を猛烈に重ねて、他者評価と一致する魅力やスキルまで到達した人なら、自分自身のアイデンティティや精神の健全性が保たれます。(自分も満足し他人にも認められたからです)

 

しかし、自己評価>他者評価(自己評価の方が高い)の場合、自身は満足しているのに、世間も他者も評価してくれないので、憤りを感じますよね。

 

逆に、自己評価<他者評価(他者評価の方が高い)の場合、自分の自信や評価以上に他者が評価しており、なんとなく違和感を感じるでしょう。

 

★ついてこれていますか?

 

c 自己評価と他者評価のズレ。

 

そもそも、あらゆることで、自己評価と他者評価をきちんと把握するのは難しいのです。

 

野球などのスポーツはデータが詳細にきちんとありますので、成績により、客観的な評価が可視化されます。

 

いわゆる、定量化しやすい世界です。

 

しかし、曖昧な世界(恋愛や数値化しにくい仕事など)では、客観的な評価を自身が正確に把握できず、ズレが生じます。(つまり自己評価と他者評価のズレです)

 

いわゆる、定性的な世界です。

 

ズレが生じることで人は悩みます。

 

恋愛や仕事などの曖昧な世界でも、成功(結果を出す)したいのなら、他者評価を気にしないといけません。

 

★抽象的な表現、多めですね。。。

 

d 他者評価の厳しさ。

 

もちろん、自己評価・自己イメージが元々高い人は、他者に言われるまでもなく自分に厳しいので、他者評価(客観的評価)でもいい評価をもらえるまでの努力をし、結果を出す確率が高いでしょう。

 

つまり、マズローの欲求で言う。自己実現欲求レベルで「自分の力がどれだけ通用するか」の感覚で、高いレベルを目標に努力するのが、自己評価・自己イメージが高い人なので、他者からも勝手に認められます。

 

ところが、大半の人はそういう人ではありません。

 

上司や世間などの他者は、普通の人の目標レベル(自己評価)以上に、評価基準を高めに設定してきます。

 

「もっと結果を出せ」「もっと良い学歴を」「もっといい人と結婚しろ」などど、迫ってきます。

 

これが他者評価(客観的評価)の厳しさです。

 

★他者評価の厳しさは理解できたでしょうか?

 

e 自己評価での幸せと他者評価での物質的豊かさや経済的豊かさ。

 

しかし、幸せを追求したいのなら、他者評価はほどほどにして、自己評価を重視すべきです

 

幸せとは「精神的な幸せ」のことを指します。

 

自分にOKを出せれば、すぐに幸せになれます。

 

他者評価に対しては、最低限の期待に応えるだけにして、自分の基準を大事にするのですから、幸せになりますよね。

 

ところが、自己評価を大事にしすぎますと、自分の基準(自己評価)というものは大半のひとは甘いので、恋愛や仕事での成功(結果を出す)や物質的な豊かさは得られにくくなります。

 

物質的な豊かさや社会での成功(恋愛や仕事など)では、自己評価を大事にしすぎると、当然、他者からは認められず、成功は得にくくなります。

 

よく、自己啓発本は「自分を大事にしろ」「世間に惑わされるな」などと書いていますが、これだけ「大学受験、就職、仕事、恋愛など」で他者からの評価にさらされているわけですから、絵空事のように聞こえてしまいます。

 

つまり、自己啓発本の一部で「自己評価を大事にし、自分を大事にしろ、他人の目なんて気にするな」ということを書いているのは、自己評価を大事にすれば幸せが近づくのですから(悪い意味でいえば自己満足)、精神的幸せや安心を求めている読者には、精神安定剤になっているとわけです。

 

★自己評価を大事にしすぎることの弊害を述べています。

 

f 世間からの高い目標へ抵抗する最強の論理。

 

自己満足、自己評価を大事にし、他者や世間の声を無視すれば、高い目標などを無視するのですから、楽に決まっています。

 

しかし、親や世間からの高い目標(他者評価)の追求に対して、「最強の抵抗する論理」があります。

 

それは「幸せは次第に慣れる、当たり前になってしまう」というものです。

 

どんなに金を得ても、どんなに美人を得ても、それには慣れてしまうのです。

 

そして、幸福感は次第に弱くなります。(これが美人を妻にしても、浮気をする理由です。もっと幸福感(刺激)が欲しくて、違う女性に手を出すのです)

 

神様が仮にいるとすれば、「上手いこじつけ合わせを人類に残した」と言えます。

 

強者(金や美女獲得者など)でも、次第に慣れるというからくりがあることで、幸福感は薄れ、悩みはそれなりにあるのです。

 

弱者からすれば、その論理は「金や美人を得た後での強者の意見だ」という人もいるでしょう。

 

全くその通りなのですが、実際問題、「次第に慣れてしまう人間の性質」から言えば、幸福や他者評価への視点はよく考えるべきことになるでしょう。

 

他者に目標を高く上げるように誘導された人は、ここで「幸福とは何なのだ」と悩むわけです。

 

金や美人を得ても、幸福感が薄れてしまうという人類の性質。

 

★他者評価によって頑張った人ほど、「幸福ってなんだ?」と悩むときがあるものです。

 

g 幸福とは何かと悩む段階

 

ここで自己評価の話に戻り、他者評価の視点に踊らされ、「金や美人などを得るように誘導されたのではないか?本当に自分は金や美人を得たかったのだろうか?」と考える人はいます。

 

実は、自分は負け惜しみではなく「そんなに金や美人を欲してない」のではないか?とも。

 

ここで、「お金とはいったい何なのか?お金の本質や価値」という記事も参考にすると、「金がなくても自身でできることを増やすこと」や「人脈を築けばいい」(もちろん成功しないといい人脈は築けないですが)や、「贅沢はそれほど本当は望んでいないのだから、節約や少額で楽しめることをすればいい」という考えに行きつくことになります。

「お金とはいったい何なのか?お金の本質や価値」

 

 

h 仕事面では他者評価は強烈

 

お疲れ様です。もう少しで読了です。

 

しかし、世の中において恋愛はまだしも、仕事面では他者評価は強烈です。

 

よって、仕事面においては「自己満足、自己評価の視点はやめた方がいい」と思います。

 

じゃないと、最低限、食っていく能力構築すらできなくなります。

 

仕事においては、他者評価を重視した方が、逆に楽に生きられると思います

 

例えば、若い時に外資系や起業などで猛烈に頑張り、40歳で早期リタイアという人生の選択肢がある人もいます。

 

仕事は競争なので(公務員は別)、楽をすればするほど、どんどん苦しく追い込まれていくことになります。

 

よって、競争下にある人は「生産性を上げる、つまり実力やスキルを上げて、余暇やワークライフバランスを取れるぐらいの余裕を持つ方がいい」と感じます。

 

僕の本や記事も参考にして、情報を収集しスキル獲得への突破口にしてほしいと思います。

 

ではこの辺で。(3814文字)

 

このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。

あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。

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