どうも、武信です。(No159)
2020年教育改革への僕の本「フィクサーによる日本の教育改革本6 第6章 上」PART1です。
構想約5年以上!総文字数約31万2000文字以上の執筆物です。
フィクサーだと僕が思う理由は、2014年頃(正確には2013年頃から着手)から、この本を書き始めており、それと連動して日本の教育改革も進んだことが、まず挙げられます。
また、それ以上の確固たる証拠もありますが、それは伏せることにします。(本が1冊書けるほどの情報量になります)
第6章 「日本の教育の姿」
1 僕が考える日本の教育の姿&異能支援。
ここで話題を変えて、横道にそれることにします。
僕は「イノベーターこそが日本を救う」と考えています。
スティーブ・ジョブズ級の人材が何人もいれば、雇用も税金も生み出すからです。
G型でスティーブ・ジョブズ級か、それに近い人材が豊富にいれば、アメリカに負けていなかったかもしれません。(主に電機産業の話です。ITも含みます)
冨山氏は「L型の改善が日本の貢献で多くを占める」と言っています。
L型も改善しつつ、G型も改善していけば鬼に金棒でしょう。
ここからは単に、一般的な教育論です。
一部の高学歴層や、イノベーターに焦点を当てすぎない教育論を語ります。
「僕が考える日本の教育の姿とは何か?」をいいます。
適材適所です。
人それぞれ、生まれ持っている才能(容姿含む)や環境、体質(努力できるかや体格など)が違います。
それぞれの持っている能力を発揮してもらい、適材適所の仕事に就いてもらうのが、理想の姿ではないでしょうか。
才能(遺伝、容姿など)、環境(親や国など)、体質(努力できるかなど)が成功の要因だと仮にしましょう。
才能の部分は諦めてもらいます。
幼児教育の充実によって、ある程度埋められる可能性もありますが、限界もあります。
変えられるのは環境面です。
親は選べませんが、教育環境は変えられます。
機会の平等を整備します。親の収入などで、才能が潰されないためにです。
僕は異能(才能)重視派です。さらに努力肯定派です。
才能があって努力もする人が、環境などで潰されては国家の損失です。
努力も才能のうちではありますが。
だから国がバックアップします。異能を支援し、努力してもらい、異能の力によって、イノベーションが起き、皆の生活水準が底上げされるのを狙います。
昔に比べたら、技術革新によって生活は非常に便利になりました。
平均収入は日本では低下中ですが、生活の満足度は昔と比べたら、格段に上がったのではないでしょうか。
もちろん、その分求められる仕事の質が上がり、仕事で忙殺されて大変になったという面もあります。
異能を支援すべきです。
異能に嫉妬する人は「その人の才能を取り上げる権利があるのでしょうか?」と問いたいです。
その人の才能をなくすことはできないのです。
だったら支援し、生活水準を底上げしてもらい、一般庶民も恩恵を受けたらいいわけです。
異能を潰したら、我々の生活水準は底上げされません。
スティーブ・ジョブズがいなかったらiPhoneが生まれないか、生まれたとしても時期が遅れたことでしょう。
異能を支援することには同意いただけただでしょうか?
2 機会の平等のために環境を整備&完全な機会の平等実現は困難
そして、機会の平等のために環境を整備します。
スタートラインはなるべく平等にしたいですよね。
結果の平等は実現するべきではありません。
共産国家のようになってしまいます。
頑張った人が、ある程度報われる社会にしたいのです。
才能の分の勝者は、課税などで調整します。
ここまで書いて実は疑問に思ったことがあります。
機会の平等は完全に平等にできないという点です。
才能はなくせないと書きました。親や国は選べないとも。
体質改善も難しいです。
改善できるとしたら、教材(参考書や学校や講義など)や情報格差や費用面(学費など)や勉強できる場所作り(図書館整備など)ぐらいです。
改善できる点は実行しますが、機会の平等は完全には平等にならない中で、異能に頑張ってもらい、稼いてもらい、後は税金で調整すればいいと思うのです。
もちろん、やる気を削がない範囲での税率です。
才能、親、国、体質などが不利な人で敗者になっても、税金で調整があるなら納得いくのではないでしょうか。
この世の中は競争社会です。
競争があるから生産者側はライバル企業と切磋琢磨し、消費者に安くて便利なものを提供するよう努力します。
競争がなく独占になったら、価格のつり上げを行なうか、または、品質向上に努力しなくなります。だから独占禁止法があります。
消費者側からすれば、競争は望ましいですが、生産者側に立つと競争は辛いです。
能力を日々高めないと、減給や解雇されたりします。
労働の質への要求も辛いです。
日本で消費者として住むなら、世界一快適ではないでしょうか。
電車は遅れることなく動き、接客のサービスも良いです。
しかし、働く側からすればきつい社会ではあります。
ですが、競争を否定することは無理です。
世の中を良くするには競争が不可欠だからです。
競争がなかったら、共産主義になります。
3 平等主義者・競争否定派の言い分&人は平等ではない
平等主義者・競争否定派は、努力が全てと思っているようです。
人間の本来の能力は平等であり、才能や遺伝の差は少ないと考えています。
環境の差が同じであれば、あとは努力が全てだから所得が低い人は、怠けているという解釈になります。
さらに、努力が全てで能力が同じなら助けあう必要もない、所得再分配も必要ないという主張になります。
競争については、「経済学のセンスを磨く」の一部を僕がまとめたことを記しておきます。
僕は遺伝・環境の差はあると考えており、人は平等ではないと思っています。
だからこそ、恵まれた者はやる気を削がない程度に、「後に税率で調整されるべきだ」と考えています。
平等論者や恵まれた者ほど、自分は努力で這い上がったと考えがちですが、本当なのか?と大いに疑問です。
「遺伝・環境の助けがなかった、と言い切れるのか?」と。
また、この後で公務員を少し否定的に捉えています。
理由として民間と比べて、生産者として競争がないという点で負荷が軽いし、それに比べて給料が高いという点を挙げました。
また、民間が倒れたら税金が徴収できなくなり、公務員も倒れます。
その点から、公務員は後回しでいいという論理が成り立つと考え、公務員より民間を優遇すべきだと主張しました。
4 教育をMECEしてみる&民間と公務員の違い
さて、教育をまずMECE(ミーシーと言う)してみましょう。
分類分けです。
民間、公務員、その他(NPO、フリーランスなど)に分けます。
なぜ、このように分けたかというと、「民間と公務員は求められる能力がかなり異なる」と思ったからです。
そして、民間の比率が高いです。
民間の目的は利益を得ること、つまり稼ぐことが前提です。
顧客の消費あってこその給料であり、コスト削減・生産性向上を命じられ、リスクを時には冒して稼ぐ方法を模索し、終身雇用・年功序列は崩れており、いつ会社が倒産するか分からない不透明さがあります。
対して、公務員は税金であり、顧客志向が薄く、コスト意識・生産性向上意識も薄く、リスクを冒して成果を挙げる意識も薄く、安定志向でしょう。
さらに公務員は国が倒れない限り、ずっと給料が貰えます。解雇される例も少ないです。
だから、給料はずっと入ってくるものだと思っていると感じます。
また、顧客やニーズに対する関心が薄いです。
商売じゃないからです。
役所対応という言葉がありますが、役所はサービスが悪くても給料が入るのだから、手を抜くのは当然という論理です。
民間だったらあり得ないことです。
これだけ環境が違うと、人材の質は異なっていると感じざるを得ません。
公務員をバカにしているというわけではなく、公務員という人材は国を成り立たせるには必要ですが、大企業の平均給与と同じというのはおかしいという結論に至ります。
主に地方公務員の話です。橋下元市長と同意見なのです。
ですが、方向性を決めるリーダー格の地方公務員は別です。
自民党は公務員給与を高く据え置くことで、人材の質を高めたいわけです。
安定していて高給与なら、質の高い人材が集まるからです。
ですが、本来、国の活力を高めたいなら税収を増やす、つまり企業が利益を上げることが大事です。
企業が利益を上げて従業員の給料も上がり、そして税収が増えるべきでしょう。
税金で成り立っている公務員は後でいいのです。
そう考えたら、公務員の給料は高すぎると言う他ありません。
生産性に応じた給料にすべきです。
生産性は民間の方が高いと思われるますから、公務員の給料は安くすべきとなります。
妥当な給料で働いているなら、公務員に文句は全くありません。
「給料に見合った仕事ですね」と言えます。
公務員の方から猛反撃を受けそうです。しかし、改革というのは既得権益層からは猛反撃を受けるものです。
MyNewsJapanの渡邉正裕氏によれば、日本でたいした仕事してない割に給与が高い職業ランキング(取材ベース)で、1位は大学教授、2位は大手メディアサラリーマン、3位は下8割の公務員だと言っています。(Twitterで)
僕の主張する公務員が3位にランクインしています。官僚は除くということでしょう。
ではこの辺で。(4215文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。
参考・引用文献。
「経済学のセンスを磨く」